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2007年 01月 23日
『アルマジロ人間』著作権侵害に基づく絵本「家の?」の出版差止を求める私の仮処分申立に対し、東京地方裁判所がこれを認めない判断(決定)を下していましたが、この判断を不服とする私の知的財産高等裁判所に対する即時抗告の申立に対して、平成18年12月25日、裁判所の判断(決定)が下されました。中身は、私の申立を棄却する、つまり、東京地方裁判所と同じく、アルマジロ人間は小野の著作物ではないという判断でした。
この裁判所の判断は、一審も二審も、この事件の持つ社会的な重要性を正しく受けとめてくれたとは、残念ながら思えませんでした。そのことは、本件についての裁判所の判断――それは、法人著作に関する貴重な裁判例(特に“発意”についての)である筈なのに――を、一度も最高裁判所のホームページに公開しなかったことに端的に現れています。 さらに、私が最も落胆したのは、裁判所の判断に殆ど精緻な理由づけが示されていなかったことです。もし、裁判がその判断中に、事件を仔細に検討し、私どもの疑問点にも真摯に回答し、それなりに詳細な理由付けを展開してくれたのであれば、たとえ、その判断が私に不利な内容であっても、私は、それを受け止める気になったでしょう。 しかし、今回の一審と二審の判断を読んでも、法人著作の四つの要件(これについては後日触れます)を具備していたのかどうかという基本的な照らし合わせ作業さえ、なされておりません。私は、法による裁判を受けた気が全くしませんでした。 また高裁決定の翌日、青木淳氏が自身の建築事務所ホームページ内でコメントを発表しました。しかし、この内容には明らかに事実誤認(虚偽)があります。 これら高裁決定と青木氏のコメントの両方に対し、私は全く承服できておりません。従って今後の対応については、多くの方々にも広く意見を伺いながら、じっくりと考えていく所存です。そのためにも、ここに、裁判所の決定を公開し、青木氏のコメントのURLをお伝えしたいと思います。 平成18年 9月13日 地裁決定書 http://naha.cool.ne.jp/llw/Art/060913decision2.pdf 平成18年12月25日 高裁決定書 http://naha.cool.ne.jp/llw/Art/061225decision2.pdf 青木淳氏のコメント http://www.aokijun.com/news/armadillo.pdf 他方、今回の裁判所の決定が将来的に見て、市民(雇用者)の創作活動にとって果たして生産的なことなのかどうか、といった観点からも検討を行いたいと考えております。 2006年 10月 28日
知的財産高等裁判所においての第一回審尋期日が、11月13日(月)午後2時30分からと決定しました。
2006年 10月 13日
9月13日、東京地方裁判所は、『くうねるところにすむところシリーズ14 家の?』著作権侵害差止仮処分申立に対し、申立却下の決定を下しました。(つまりアルマジロ人間は小野個人の著作物ではないという判断です。)私小野弘人はこれを不服とし、9月26日に、知的財産高等裁判所に抗告の申立を行いました。
2006年 09月 11日
場所:東京地方裁判所
期日:平成18年8月30日午後3時00分から午後3時10分 出席者:債権者小野弘人、債権者代理人1名、債務者青木氏代理人2名、債務者インデックス・コミュニケーションズ2名、債務者インデックス・コミュニケーションズ代理人2名 ※ 今回も青木淳氏は欠席でした。 近々、仮処分の決定が下されます。 2006年 07月 30日
場所:東京地方裁判所
期日:平成18年7月21日午後1時20分から午後1時45分 出席者:債権者小野弘人、債権者代理人1名、債務者青木氏代理人2名、債務者インデックス・コミュニケーションズ3名、債務者インデックス・コミュニケーションズ代理人2名 第三回審尋期日:8月30日(水) 2006年 06月 30日
場所:東京地方裁判所 期日:平成18年6月22日 出席者:債権者小野弘人、債権者代理人1名、債務者青木淳氏、債務者青木氏代理人2名、債務者インデックス・コミュニケーションズ3名、債務者インデックス・コミュニケーションズ代理人1名 当日、債権者仮処分申立書に対して、債務者青木氏側から答弁書が提出されました。債務者インデックス・コミュニケーションズ側からの答弁書は、今回は提出されませんでした。第二回審尋までには、債務者インデックス・コミュニケーションズ側からの答弁書が提出される予定です。 第一回審尋の翌日23日に、債務者青木氏代理人から債権者小野代理人に、本ブログ上での債務者青木氏側答弁書の公開を控えるようにという旨のファックスが送られてきました。 本ブログは、新聞等で報道された情報について正確を期すため、この裁判に提出された文書を公開することを目的としています。よって本来であれば、債務者青木淳氏側からの答弁書も公開すべきだと思いますが、現時点では、上述の理由から公開できません。 一刻も早く、青木淳氏が別の場所にて青木氏側の答弁書等を公開することを期待しております。 第二回審尋期日:7月21日(金) 2006年 06月 17日
2006年6月8日、私小野弘人は、代理人弁護士柳原敏夫氏と共に、著者青木淳氏と出版社インデックス・コミュニケ−ションズに対し、『くうねるところにすむところシリーズ14 家の?』の出版差止等を請求する仮処分を、東京地方裁判所に申し立てました。 事の経緯は、「仮処分申立書」、「小野陳述書」、「岡崎乾二郎氏意見書」に詳述されています。今後は、この裁判の経過報告と共に、新たに準備された書面などを随時更新していきます。 2006年 06月 15日
第1回審尋期日が、6月22日(木)午後2時からと決定しました。
2006年 06月 12日
陳述書
小野 弘人 目 次 (1) 略歴 (2) アルマジロ人間の制作過程 (3)「U邸」はトイレがない—私が独断で作業していたという事実の裏付け (4)「家の?」を偶然見つけた時のこと (5) 改変された「家の?」のイラストや立体人形 (6) 建築界の慣習(所長とスタッフの関係) (7) その当時どういう理由で雑誌掲載図面の中に私が“アルマジロ人間”を描いたのか (8) 設計事務所のスタッフが“アルマジロ人間”のような動物人間を創作して、建築図面等に描き入れることがいかに特殊か。 (9) スタッフが描いたパース図は、変形・加筆してはいけない。 (10)「家の?」では “アルマジロ人間”という呼称が無断使用されている (11) 結論にかえてーなぜ事前に私に1本の連絡ができなかったのでしょうか。 (1)略歴 1965年6月14日、東京生まれ。 1989年3月、文化学院を卒業。 1991年3月、株式会社入江経一+POWER UNIT STUDIO勤務。 1994年4月、株式会社青木淳建築計画事務所に入社。 「N市地下横断体」、1994年「O(オー)」、1995年「熊谷頭首公園」、1995年「コンテナ計画」、1996年「椅子計画」、1997年「U(ユー)」、1997年「Z(ゼット)」、1997年「B(ビー)」等を担当する。 1998年3月、株式会社青木淳建築計画事務所を退社。 1999年3月、Bゼミスクーリングシステム修了。 2000年5月、西尾玲子、森昌樹と共に西片建築設計事務所を設立。 2004年4月より、近畿大学四谷アートステュディウムの非常勤講師を勤め、現在に至る。 (2)アルマジロ人間の制作過程 ア. 1996年12月「O(オー)」新築プロジェクト 私は、株式会社青木淳建築計画事務所(以下、青木事務所という)において、1994年4月入社直後より「O(オー)」新築プロジェクト(東京都世田谷区。以下「O邸」という)を設計着手段階から担当しました。そして1996年12月、「O邸」竣工後、建築雑誌発表用の図面(疎甲第3号証。雑誌『建築文化1997年2月号』の28頁、29頁、32頁、33頁、36頁、37頁の各図面)の制作にあたりました。 当時私は、CAD(コンピュータで図面を描くソフトの総称)ができなかったため、同僚であった森昌樹氏、田中昭成氏、X氏の3名にお願いし、下絵となる図面をCADで製図してもらいました。上記3名が制作したCAD図面(平面図、断面図等)を、それぞれA3用紙にプリントアウトし、この上に私が直接、ロットリング(製図用ペン)で樹木や草や床石の乱張り(石の形を生かして不定型に張ること)を描き込みました。 しかし、このときは、それにとどまらず、断面図に“アルマジロ人間”を描き込みました。この“アルマジロ人間”は、この作業の最終段階(建築雑誌編集部に納める寸前)で、私一人で一気に描き込んだもので、その表現方法は私一人で考え、青木氏をはじめ誰にも知らせることなく独断で行ったことであります。 私が“アルマジロ人間”として、このイラストを描いたのは、この時が初めてでした。命名したのも、この時が初めてです。私自身としては、かなり良い仕上がりであると考え、周りにいたスタッフ数人を呼び寄せ、出来上がったばかりの“アルマジロ人間”入りの断図面を見せ、彼らの反応を見ていました。スタッフの内の一人から、「このキャラクターは何なのですか?」と質問を受け、私は「これはアルマジロ人間という名前であり、アルマジロが甲羅を脱いだ状態のものである。」と答えたのです。 これが、私が初めて“アルマジロ人間”という呼称を宣言したときの状況です。 私は、幼少の頃から動物のアルマジロが大好きで、絵日記や図工の時間などに、いつもアルマジロの絵を描いていました。従って、“アルマジロ人間”の原型は、幼年期に遡ります。つまり、この時 “アルマジロ人間”と命名した行為は、子どもの時からアルマジロのキャラクターに対して、自らを代弁するような存在として愛情を注いできたことに対する再認識にほかならないのです。別紙1の小学3年生当時の私の絵日記参照 イ. 1997年1月「U(ユー)」プロジェクト それから1ヶ月もたたない1997年、年明けに「U(ユー)」プロジェクト(東京都世田谷区。以下「U邸」という)を担当しました。このプロジェクトの目的は、3月15日から4月13日までGAギャラリー(渋谷区千駄ヶ谷3丁目12-14)で開催される『住宅プロジェクト 1997』展(主催:エーディーエー・エディタ・トーキョー)へ出展することと、同展覧会に先立って発行される建築雑誌『GA JAPAN25/3-4 1997』(エーディーエー・エディタ・トーキョー、発行日1997年3月1日、発売日同年2月24日)(疎甲第5号証。以下『GA JAPAN25』という)に、同展覧会の内容を掲載するためのものでした。 また同展覧会は、住宅プロジェクトを紹介するものであったのですが、この時青木事務所では進行中の住宅プロジェクトが無かったため、青木氏が、「O邸」のオルタナティブを作ることを提案しました。つまり、「O邸」と同じ敷地で別の住宅案を設計するということです。 年明けから私は、青木氏とスタッフであった森昌樹氏、田中昭成氏、Y氏の4名とともに「U邸」の企画・設計を開始しました。数日、5人で作業を進める中で、私は「U邸」のキーコンセプトになる二つのコンセプトを提示しました。ここで大まかな方向性が決定したので、森昌樹氏と田中昭成氏は「U邸」から外れ、他のプロジェクトに移りました。その後は、青木氏、Y氏、私の3名で建物の構成を議論しながら進めました。ほぼ建物の構成が決まり、その後の模型や図面の作業は、私が指揮を取りY氏と2名で進めていきました。 私は模型の最終的な表現の段階で、「O邸」で私が発案し制作した“アルマジロ人間”のイラストを基に、ここで初めて、“アルマジロ人間”の立体人形を3体作り、模型の中に配置しました(疎甲第4号証『建築文化1999年11月号』90〜91頁の写真)。 もちろん、ここで“アルマジロ人間”を立体化し、建築模型の中に置くというのも私の発案であり独断で行ったことです。この立体人形を制作した時に、青木氏から、このようなイラストを描けという指示や、「O邸」の時のようなイラストを人形にしてほしいといった指示は、一切ありませんでした。また、私の知る限りこれまで青木事務所で、このような模型に“アルマジロ人間”の立体人形といった架空の動物人間を配置するということは一度もありませんでしたし、今回もまた、模型に“アルマジロ人間”の立体人形といった架空の動物人間を配置することは全く想定されていませんでした。しかも、その時私はわざと隠しながらつくったので、それが出来上がるまでは青木氏をはじめスタッフの誰も知りませんでした。 また同図面の最終的な表現の段階で、私は、「O邸」で発案した“アルマジロ人間”のイラストを「U邸」の断面図の中にも描きました。そこでは、「O邸」とは異なる動作で合計7種類の“アルマジロ人間”のイラストを描きました。このイラストを描く時にも、青木氏から、このようなイラストを描けとか、「O邸」の時のようなイラストを描けといった指示は、一切ありませんでした。また、私の知る限りこれまで(私の独断でやった「O邸」のケースを除いて)青木事務所で、このような図面に“アルマジロ人間”のイラストといった架空の動物人間を描くことは一度もありませんでしたし、今回もまた、図面に“アルマジロ人間”のイラストといった架空の動物人間を描くことは全く想定されていませんでした。この作業も私一人が独断で行ったものです。 (3)「U邸」はトイレがない—私が独断で作業していたという事実の裏付け 私が、「U邸」の最終作業を独断で行っていたという事実を物語るエピソードについて述べます。 青木氏自身が、絵本「くうねるところにすむところシリーズ14 家の?」(インデックス・コミュニケーションズ。以下「家の?」という)のあとがきで次のように語っております。 『そうそう、この家にはトイレがありません。家とぼくの気持ちの関係のことばかり考えていたから、トイレをつくることを、すっかり忘れてしまっていたのでした。』(「家の?」あとがきから抜粋) なぜ「U邸」の中にトイレがないのか、青木氏は本当の理由を知りません。なぜなら、「U邸」の図面表現作業は私が独断で、一人で制作していたからです。私は、意図的に「U邸」からトイレをなくしていたのです。 本当の理由はこういうことです。私が尊敬する白井晟一という建築家は、自邸にトイレを置きませんでした。この話を思い出し、わざとトイレを平面図の中に記さなかったのです。便宜主義的に、人が楽に住むことだけを目的にしているだけでは、よい住宅をつくることはできないと私は当時から強く感じていたのです。普通、住宅では絶対的に外すことのできないトイレという機能を意図的に示さないことで、『住宅プロジェクト 1997』展に出品される他の建築作品に対して、物議を醸す意気込みで私は臨んだのです。 後日、「U邸」が『GA JAPAN25』に掲載され、青木事務所に送られてきました。その時、青木氏は初めて「U邸」にトイレがないことを知り、慌てて私のデスクに飛んで来たのです。青木氏は、私に向かって「小野くん、大変なことに気づいた!この住宅にはトイレがないよ。」と発言しました。私はこの時、「知っています。わざと無くしました。」と答えました。 建築家と言われている人間が、住宅の図面にトイレが記されているかどうかを見落とすはずがないのです。ということはつまり、「家の?」のあとがきで青木氏は、「U邸」の図面や模型をほとんどチェックしていなかったという事実を自ら表明しているのです。 よって、このエピソードからも、事前にも事後にも青木氏に了解を得ることなく、私が「U邸」の図面及び模型表現を独断で制作し、そのまま出版社に送ったことは明らかであると言えます。 (4)「家の?」を偶然見つけた時のこと 私は、2006年3月22日の夕方、神保町にある建築専門書店「南洋堂」で、初めて青木氏の絵本「家の?」が平積みになって売られているのを発見しました。 この時、私はぞぉーっとするような寒気を背筋に感じながらも、慌ててその本を手に取りました。なぜならば、私がつくった“アルマジロ人間”の人形が、変形・模倣された姿で大きな写真となって表紙に載っていたからです。表紙にはタイトルの他、“建築家青木淳”という見出しのみが記されていました。急いで、あとがきと奥付に自分の氏名があるかを確認したところ、小野弘人という文字はどこにも記されていないことがわかり、大きなショックを受けました。さらに中身を確認すると、2頁目に“アルマジロ人間”という文字が活字となって印字されているのを発見し、今まで体験したことのない憤りが込上げて来ました。 上記が初めてこの絵本「家の?」を手にしたときの私の状況及び忘れることのできない偽らざる心境です。 (5)改変された「家の?」のイラストや立体人形 私は絵本「家の?」を見た時、瞬時にして奇異な違和感を覚えました。そこに印刷されている建物の模型は、確かに私たちが当時つくった模型を忠実に再現しています。しかしそこに置かれているイラストや立体人形は、私が当時考案・制作した“アルマジロ人間”を妙な形に変形しているのです。 一見それは私の子どもであるかのように振る舞っているのですが、知らない内に誰かに脳みそを入れ替えられてしまったような、まったく私には関係のない赤の他人にも見えるのです。このようなアンビバレントな不気味な感覚を体験したのは、この時が初めてのことでした。 具体的には、私が当時描いた“アルマジロ人間”のイラストは、私自身の手癖を利用しながら流れるような輪郭線で描かれています。それに比べ、「家の?」の“アルマジロ人間”のイラストは、ぎこちなく角張ったり、尖ったりしています。また「家の?」の“アルマジロ人間”の立体人形は、私の立体人形に比べて首から肩にかかる線がなで肩になり、下半身がゾウのように太くなっています。全体的に足下に向かって太くなっているのです。 さらに、「家の?」の“アルマジロ人間”は、イラストでは手の先が角張っているのに対し立体人形の手先は丸みを帯びて尖っているというように、イラストと立体人形の間にずれがあります。一方、私の“アルマジロ人間”は、目の大きさや表情・動作に同一性があり、イラストと立体との間に大きなずれは生じていません。 (6)建築界の慣習(所長とスタッフの関係) 次項(7)で、私が“アルマジロ人間”を描いた具体的な理由を述べますが、その前に建築界の慣習について一言説明します。一般的に(世間的評価として)正しいのかは分かりませんが、私が体験から得た、建築業界に於ける設計事務所主宰者(以下、所長という)とそのスタッフの関係について述べます。 建築設計業務を進める場合、われわれは、通常一つのプロジェクトを所長とそのスタッフと共同(スタッフ数名の場合又はスタッフ1人の場合もある。あるいはスタッフを使わず所長1人で行う場合もある。)で進めます。通常は、所長がキーになるコンセプトを提示し、そのコンセプトを基に、所長とスタッフが共同し、互いに何の隔たりもなく案を出し合います。さらにそこで出された案を絞り、議論を詰めた結果、最終案が完成します。 ところが、ここで考案されたキーコンセプト、建築の構成、素材の開発、構造(架構)の基本アイデア、家具のデザインなどが世に発表されるときには、たとえスタッフがどんな素晴らしいアイデアを出した場合でも、単に○○建築設計事務所主宰の○○のものとして発表されます。今回の例で言えば、青木淳建築計画事務所の青木淳のものとして発表されるのです。そして、このようなやり方がまかり通る背景には、そもそもスタッフは、アイデアを所長に売って、代わりに経験を得るという意識をもたされていることがあります。しかし、聞くところによると、著作権法では、映画監督と映画スタッフの共同で制作される映画の著作物については、その著作者は映画監督ひとりではなく、「映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者」はすべて著作者になれると定めてあるそうで、この理は共同で業務を進める建築界においてもひとしく妥当する筈です。その意味で、私自身は、所長の下について仕事を進めて行く中で、このようなやり方は果して筋道が通ったことなのだろうか、そうではないのではないか?という疑問を絶えず感じておりました。
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